万博ジュニアサッカースクール

北に陽を目指して「R」

2021年11月10日

背番号7 昭和50年 夏合宿

 FIFAは、フィールドの大きさを縦は90~120m。 横が45~90mの範囲の長方形で、タッチラインの長さは、ゴールラインの長さより長くなければならない。と定めています。北陽高校のグラウンドでは、縦が100m。横が68mの長方形。1周は336mで、その周りを走らなければならない。と定められています。

 

合宿は朝6時からグラウンド10周競争。スクワット、腕立て伏せ、腹筋、背筋をそれぞれ100回。10周競争のペースが少しでも遅いと「朝から何をゆっくり走っとるんや。走れ んのやったら走る練習しよう。インターバルや」インターバルは、50mを8秒で走って、30秒で戻る。 全員が10本入ったら終了。一人でも遅れると全員やり直しでノーカウント。北陽伝統の必殺の練習メニューのひとつです。10本入るまで、泣き崩れる選手が出ようとも情け無用容赦なし。何本でも繰り返されます。

 

朝食は汗まみれの中、吐き気をこらえて食堂で済まします。9時前からグラウンド整備を行い練習開始。午前の練習が終了する前には、「合宿や。しんどいのはあたりまえや」とまた10周競争かインターバル。昼食後、2時頃から練習再開。夕方、練習終了前に 「しんどい時にどれだけがんばれるかや」とダメ押しの10周競争がインターバル。もしくはその両方。 当時は 「給水」というありがたい言葉もありません。現在のように20分~30分で、水分補給をすることもなく、「練習中は水飲むな」 という時代でした。暑い中、あれだけ走って本当によく倒れなかったと思います。

 

合宿期間中の食事は、「父母の会」 のみなさんが、選手に元気をつけてもらうために、焼き肉などの 「こってり系」 のメニューを中心に用意してくださいましたが、合宿の中頃になると食欲など出ません。選手たちは「食べなあかんぞ。走られへんぞ」と、夕食後にそっと食堂へ行き、冷たいキムチのお茶漬でとにかく白飯だけでも流し込んでいました。

 

夕食後は、7時30分頃からサウナの様な体育館でフットサルと筋トレで1日最後の体力を使い果たします。やっと1日の練習が終了と思いきや、先輩の練習着の洗濯や、翌日の準備など1年ならではの雑用が山ほどあり、一瞬たりとも休む間がありません。ようやく、10時前になってから近くの銭湯でフルーツ牛乳を思いっきり飲むことが唯一の楽しみでした。

 

銭湯で期待を込めて天気予報を見ても明日も晴れ。どうやら上新庄の夏は雨が降らないということも知りました。合宿所でも1年生の寝る場所は、入口の前で筆者たちの煎餅布団は「玄関マット状態」でしたが、すぐに慣れてしまいました。

 

「今日も終わっぞ.」 選手にとって、寝る前の時間が一番嬉しい時間です。「俺、合宿終わったら、頭割れるほどかき氷食べたるわ」 「俺は家でクーラー20度に設定して寝るぞ」 睡魔に襲われる前の会話ですが、選手たちは知っていました。 寝たらすぐ明日が来ることを。そしてまた10周競争から始まる長い長い1日のことも。「おい、寝るな 寝たら明日やぞ」2006年12月作成。 (背番号8につづく)