2021年11月10日
背番号14 昭和52年 淀川ランニング
「3B西田。3B西田。 職員室まで」 野々村監督のドスの効いた声が校内放送で響き渡ります。西田キャプテンが呼び出されると、3年生のサッカー部員たちは、「何や、どないしたんや」と3Bの教室に集まり、西田キャプテンの帰りを待っています。西田キャプテンからの報告が、3年生の進路指導の話、新しい練習内容の準備、スケジュール確認、サッカー部員の生活態度に対する軽い注意などの場合は、まだ良いのですが、時には筆者たちの失策から最悪の展開を招くことがありました。
「おい、昨日から部旗張りっぱなしや」 「グラウンドにボールが1個落ちてた。ボールは監督が拾ろうたらしい」こんな報告内容だった瞬間、筆者たちの気分は、どっぷりとブルーな気持ちに浸り、その後の授業などは上の空。ひたすら雨乞いのお祈りを続け、今日を無事に生きて帰れるよう祈ったものでした。
筆者たちも3年生になると「これはあかんぞ。今日の練習の終わりは、インターバル20本やな」 「いや、10競争か、3分間走ちゃうか」 と個々が練習の展開を予想していましたが、「今日は機嫌悪いぞー」という顔で、グラウンドに現れた野々村監督から出る言葉は、いつも筆者たちの予想を裏切ったしんどい練習でした。「お前らボールいらん。ボールを大事にせえへん者は、ボールさわらんでええ。全員アッブシューズ履いて来い。淀川や」 「・・・・ 出たあ」 最悪の展開のひとつです。
淀川ランニングのスタート地点は、通称「赤川の鉄橋」の北側からで、豊里大橋を目指して淀川堤防を東に走ります。途中に架かる城北大橋の下を走り抜け、豊里大橋を南に渡り反対側の堤防を西に。大阪工大高を南側に見て走り、赤川の鉄橋を北側に渡ってゴールする競争でした。スタート地点から、東方向に架かる橋を見渡すと割と近いような感じがするのですが、城北大橋を豊里大橋と間違って走ってしまうと精神的ダメージが非常に大きく、堤防は川の流れに沿ってカーブしており、いくら走ってもなかなか距離間が縮まりません。
筆者たちは、豊里大橋を前方に見ながら 「誰や、堤防くらい真っ直ぐに作れよ」 と堤防のカーブに対して怒り、豊里大橋では「車は楽でええよなぁ」と怒り、大阪工大高を見ながら、「お前ら、これだけ走ってないやろう」と怒り、そして、最後に赤川の鉄橋に差しかかり、ゴール間近になってくると「なんで、大阪に淀川なんかあるんや」と訳の分からない怒りとともに走 っていました。
以後、筆者たちは帰宅する際に、阪急電車で上新庄から淡路間を通る時は、夕闇迫る薄暗い中でも車窓から目を凝らして、必ずグラウンドを見て「部旗」の取り忘れ と 「ボール」が落ちていないかを複数の目でチェックして帰るようになりました。先日、OBになって母校を訪れた際にも、車窓からグラウンドを見ながら、やっぱり同じようにチェックをしながら帰宅している自分を発見しました。習慣とは恐ろしいものです。2007年2月作成。(背番号15につづく)