2021年11月10日
背番号3 優勝しても本にできなかったチーム48年
全国優勝を成し遂げた「チーム48年」は、世間の人が誰も信じない猛練習の中から、自分たちが勝つためのプレースタイルを確立していました。勝つためには、気迫と体力、根性と走力で相手を常に上まわり、自分たちの武器を最大限に利用し、相手にとって最も嫌なプレーを連続して続けることです。
昨今の選手権では、「ロングスローは戦術か?」と話題になりましたが、「チーム48年」の絶対的CF塩田さんは、当時すでに相手ゴール前までロングスローを投げ込み観客を沸かせていました。また、重心の低いドリブルからの「えぐい切り替えし」と、左右の強烈なシュートで相手ゴールを襲っていました。
OR猪子さんが蹴るコーナーキックのボールは、北陽の大型FWを目掛けて、まるでマシーンのように何度も正確な放物線を描いてチャンスを演出しました。練習後に「コーナーキック100本蹴っとけ」という成果が十分に活かされていました。
コーナーキックの守備では、GK田中さんは相手の蹴ったボールに対して、全てチャレンジに出ることを徹底。左のポストに高木さん。右のポストに山本さん。中央に島田さんが入り、3人でゴールを死守。左右のポストに入るDF2人は、頭上を通過するボールを頭でクリアできるように、ポストではなく、自分の頭の横くらいの高さのサイドネットとポストの結び目を持って、少しでも高くジャンプできるように構えていました。
「全国で優勝するためには強いGKが必要や」― 田中さんがSBからGKにコンバートされたのは高校2年。野々村監督が描いたコンバートのシナリオは、周囲の選手たちから「お前GKになれへんか」と勧めさせることでした。結果、シナリオどおり本人からの申し出を受けGK田中さんが誕生。2022年、選手権大会は第100回大会を迎えますが、僅か2年のGKの経験で、指の骨2本骨折したまま大会に出場し、大会を通じてナンバー1のプレーを披露し、全国優勝を成し遂げたGKなど大会の歴史を繙いても他に存在するのでしょうか。「GKは経験が大切」とよく言われます。田中さんは、GKにコンバートされてから、グランド整備は免除。その間、20代の後半で、バリバリの野々村監督とのGK練習が毎日繰り返され、全体の練習が始まる頃には、「もう半分死んでた」とのことです。戦慄が走るような凄まじい練習が、繰り返し行われたことは容易に想像できます。
選手権終了後に「初優勝を記念して本を出版しませんか」との企画が立ち上がり早々に出版社が来阪。中之島のロイヤルホテルで、出版本の内容についての打ち合わせが行われました。年間で2回しか負けなかった「チーム48年」の歩みや、「キーパーがボール怖がって、どうするんじゃ。手を後ろに組んでそこに座れ練習」など、実際に行われた日頃の様々な練習内容を、包み隠さずに出版社に披露しました。出版社からの答えは「いやいや、これは凄いお話をお伺いすることができました。しかし、その内容は、とても壮絶過ぎて、世間に対して本として出版できる内容ではありません。今回のお話は無かったことに」との断りが入りました。初優勝しても「恐るべし昭和伝説」です。2021年11月作成。(背番号4につづく)